そもそもロングインタビューって何なの? その6 喧嘩の仲裁。
ロングインタビューは、一番初めに,ご本人の「当たり前感覚」やら「常識感覚」にフォーカスしますというお話をして参りました。
この「当たり前感覚」やら「常識感覚」は、「なぜ、そう思われますか?」という問いに対して、
多くの方が、その根拠を言語化することは少し難しいと言われます。
と同時に、「それは正しいことだ」という感覚を皆さん持たれているようです。
「だって、それは当然だろ」
「理由なんて考えた事ないけど、そんなの常識よね」
と相手に伝える時、「自分は正しい」、「自分の言っていることは正しい」という感覚が、
その言葉を支えているようです。
「雨が大嫌いな部長氏」のところでお話したように、雨が嫌いな部長氏は、雨が嫌いだという自分の感覚は正しいと言われました。
勿論、これが当人の個人的な見解に属している限り、何の問題もありません。
雨が好きだろうが嫌いだろうが、それが当人の見解にとどまるのであれば、なんだかちょっと冷たい突き放しの表現になりますが、「どうぞご自由に」で終わる話だと思います。
もう一つ例をあげますと、
僕には、「俺は、ちょっと温め(ぬるめ)のビールがこの世で一番うまいと思ってんだよ」と言う腐れ縁の悪友がいるのですが、彼とこの事で揉めたことは一度もありません。
この愛すべき悪友は、この事を誰にも強制しないからです。
彼は、「これが美味いビールの飲み方なのだからお前もそうしろ」とは言いませんし、
「お前もそう思うだろ。そう思え。思わんやつはどうかしている」とも言いません。
ですので、冗談悪口の応酬は日常茶飯ですが、基本的に平和共存が何十年と続いています。
でも、マー君とミッコさんのように、
「俺の言っている事が正しい方法なのだから、お前さんも俺のいう正しい方法を採用すべきだ」と、
相方の行動を規制する方向で話が展開されると、途端に問題が発生します。
人間関係にまつわるトラブルのかなりの部分を、
「流れ込んだ文化の違い」に端を発する「相手に対するレッテル貼りや強制力の発動」が占めるのではないかと僕は思っているのですが、いかがでしょうか。
人は「基本的に自分は正しい」と思っている、と僕は思います。
勿論、ここでお伝えしたいことは、世間の皆様に向かって自分の正当性を常に強く主張するというようなことではありません。もっと静かな基底感覚として、「自分のものの感じ方はごく普通の正しさを備えている」と思いながら人は暮らしていると思うのです。
でも、その自分の感覚の由来を知る人はまれです。
その感覚はどこから流れ込んできたものなのかを考える人も少数派だと思います。
「言語化できないというのは、思考停止のことである」。
これは僕の大先輩の教えですが、
当たり前感覚の中に潜むある種の思考停止を一度解除してみませんか、
というのがロングインタビューの提案です。
次回は、マー君とミッコさんにロングインタビューに来ていただくことにしましょう。
今日は、この辺で。